2026年1月6日
母、百合子が永眠 ありがとう安らかに。
母百合子が1月3日、永眠しました。1943年(昭和18年)生まれ、私はその子として1970年に生まれました。母が27歳の時の子で、私の弟が2年後に生まれます。4人家族として東砺波郡井波町で暮らしてきました。日本共産党員として、保守的な地域でも女性の権利や保育・子育てに関わる市民運動、核兵器廃絶をはじめ平和を求める運動にも力を尽くしてきた人でした。そのもとで育った私たち兄弟は、社会変革や抑圧された人々の願いを実現する運動に自然に関わることになります。晩年、認知症が悪化するまで、市民運動、女性運動の中で、草の根で人々と結びつき運動を発展させる役割を担っていました。我々兄弟が結婚し、5人の孫の面倒を見てくれたり、子どもの保育園や学校の送迎、家の留守番などなど、本当にあたたかく応援してくれました。認知症の進行で昨年夏に特養ホームに入所したあとも、いつもニコニコと笑顔を絶やさず、安定した生活でした。しかし、昨年大晦日に顔を見に行った際、発熱があり会話もできず「様子を見ましょう」ということでお別れしたのですが、それが最後の別れとなりました。葬儀には多数の親類や運動を共に担った仲間のみなさんに参列していただきました。母が描いた絵がたくさん出てきたので、斎場には飾らせていただきました。絵心があった人で、私たちも見たことのないような自画像、子や孫の絵、動物や花の絵など幅広く描いていたのがわかりました。叔父(百合子の弟)は、「小学校の夏休みの絵の宿題を、百合子に描いてもらったんだ」と語っていました。その言葉は短冊にして、叔父から母への最後の言葉として棺に入れました。


