核兵器で二人の子を失った女性の詩
2月4日、総選挙の活動地域は、小矢部市内。その日の昼休憩中に休ませていただいたお宅でで出会った詩です。
長崎の原爆に遭遇し、二人の子を背負い手を繋ぎ逃げ延びたものの、二人のお子さんはまもなく短い生涯を閉じます。同じ放射能を浴びた自分がたすかり、なぜ二人の子なのか。自責の念をずっと背負って生きた女性の、この詩を私はどう受け止めて良いのかがわかりませんでした。ただただ、悲しく涙が流れるだけでした。いかにご紹介します。

「ひまわり」(作者はsさん)
その日は
雲一つないカッと太陽の
照りつける日だった
母は台所で昼食の支度をしていた
私と幼い子供二人は
お医者さんから帰って
”暑かったわね”と
子供の額の汗を拭いていた
閃光!
一瞬の中に
変わり果てた瓦礫の町を
幼い子を背に
上の子の手をしっかりつなぎ
まろぶようにして
走り出していた私
真暗く
よどんだ防空壕の入り口の
ひまわりの黄色が
混乱した目に
妙な静かさで写った
「大丈夫よね!ひまわりさん無事に
咲いているんだものね
大丈夫よ………ね」
幼い子供たちは
周囲の大人たちの混乱に
おびえていたけれど
「ウン・ウン」と
コックリした
その幼い兄弟は
原爆の放射能の犠牲となって
それから いくばくもなく
あっけなく
あの世へと手をつないで
旅立っていった
そして時は移り
住む土地も変わった今
猫の額ほどの庭に
花の好きな私は
いろいろと花を植える
だが
ひまわりだけは植えない
だが
ひまわりだけは植えない
するどい悲しみが
私の胸をさいなむから!
未だ生きていれば………
今年何才?………
死んだ子供の年を
数える愚かな母だから!
同じ放射能を受けながら
母だけは生き残っている
その悲しみを
あの防空壕の入り口の
ひまわりだけは知っていてくれるだろうか!
(フジテレビ 小川宏モーニンショーで全国放送された詩。※放送は約 40年前)
この詩について改めて考えたさかもっち〜ずトークです。
2月4日の夜、同じ小矢部市内で行われた個人演説会の動画です。冒頭でこの詩の話を紹介しました。
