2023年5月3日

憲法施行76年にあたって

投稿者: hi_sakamoto

76回目の憲法記念日にあたって。

今年の記念日は、岸田政権のもと「で戦争か、平和か」が問われる重大な岐路に立っている中で迎えました。

岸田政権はアメリカの要請に基づいて、ミサイル防衛の枠組み(「統合防空ミサイル防衛(IAMD)」)に参加するというのです。これまで日本は、自民政権のもとで「専守防衛」に徹するとしてきました。「専守防衛」は、万が一日本が攻撃された場合には、日本の領土内において必要最小限の軍事力で侵略を押し返すための行為は、現憲法の範囲内である、つまり合憲だとしてきました。そして、敵基地攻撃は、やらないのだと説明してきました。

岸田政権はこれを覆して、他国領土内の敵基地攻撃は、「専守防衛」の範囲に収まるのだ、大きな方針転換をしたのです。

これを争点に選挙をたたかい審判が下されたわけでもないし、国会で議論をしたわけでもないのに、勝手に閣議決定してしまいました。そして、5年間で43兆円という莫大な税金を「防衛費」として支出することを決めました。世界はGDP比2%であり、日本もそれを目指すべきだというのが自民党の狙いです。

憲法解釈からも、従来の自民党の説明からも、まったく論理的に説明がつくものではありません。

日本がこれまで「専守防衛」の立場をとらなければならなかったのはなぜかー

侵略国家・軍国主義日本は、アジアで2000万人という夥しい犠牲を出し、日本国民310万人を失ったことを根本から反省し、平和主義につらぬかれた国家づくりをしようと誓ったのでした。それが、日本国憲法という形で具体化され、この憲法にそって戦後長く歩み繁栄を築いてきたのです。憲法は、戦争を放棄し、戦力をもたず、交戦権を否定するという形で国民の中にしっかりと根付いてきたと思います。

戦後、アメリカの世界戦略のもと、日本の再軍備へ転換がはかられ、自衛隊が発足しますが、しかし、日本国憲法の理念を覆してまで軍事大国かを進めることはできませんでした。自民党は、平和主義はわが国の最大の基本理念だということは否定できず、自衛隊の存在について、侵略する組織ではなく防衛に徹する組織だと説明してきた(世界第九位の軍事費の組織が、軍隊ではない!と)のであり、「専守防衛」こそが自衛隊の任務だというのが一貫した説明でした。憲法の平和主義が、日本国民の平和を希求する思いと深いところで合致していたからこそ、軍国主義復活、軍備拡大への歯止めとなってきたのです。自民党も、「防衛費のGDPの1%枠ない」の約束を国民人に対してせざるを得なかったのです。

しかし、安倍政権は2014年に集団的自衛権を認めるという憲法解釈の大転換をおこない(これまた閣議決定ですが)、翌年に安保法制を強硬しました。その後も憲法破壊、平和主義破壊の道を自公政権はすすめてきましたが、ついに岸田政権は「専守防衛」を投げ捨て、防衛費倍増へ舵を切ったのです。

自民党は、防衛費を毎年、毎年増やしていく、そして、他国並みにGDPの2%に引きあげるというのです。防衛費は2倍にすれば、日本は世界第3位の超軍事大国になってしまう。

それらの財源はどこから生み出すか・・・国民への増税しかありません。また、社会保障など国民が必要とするさまざまな施策の経費を削ることになるでしょう。

憲法は13条で、「個人の尊厳」と「幸福を追求する権利」を定めています。何よりも、人として、個人として、尊重されなければならないのです。

憲法25条では、生きていく権利が(生存権)定められています。

今の日本は、本当に国民一人一人を大切にされているのでしょうか。

少ない年金をさらにカットして、この物価高のもとで爪に火を灯してやっとのことで生きている人々をさらに追い詰めるのでしょうか。

憲法24条では、両性の平等を謳っていますが、男性中心の社会のあり方がいまだに支配的ではないでしょうか。女性というだけで低賃金を強いられ、シングルマザーは最底辺の生活を余儀なくされます。

憲法が定めた民主主義、人権、平和、こうした理念に合わない現実があれば、その現実を変えて憲法の理念に近づけるのが政治の責任です。

今の政治は、憲法を蔑ろにし、平和主義を徹底するどころか平和主義を壊す方向へと向かっています。憲法を守らず、憲法を壊し、戦争する国づくりへ突き進む現実こそ、変えなければなりません。

憲法が生かされる社会をめざして、日本共産党はみなさんとともに力をあわせて頑張ります。