2021年6月10日

「男性性 包茎の歴史から考える」〜男性間の支配関係を背景とし、包茎手術を商業化した

投稿者: hi_sakamoto

2021年5月31日、6月1日の「しんぶん赤旗」に掲載された澁谷知美さん(東京経済大学、全学共通教育センター准教授)のインタビュー記事は、深く考えさせられるものでした。「しんぶん赤旗」らしい記事です。

「男性性 包茎の歴史から考える」という上・下の記事ですが、全文を紹介することはできませんので、「上」の画像のみを紹介し概要を書きます。

仮性包茎は本来健康上全く問題ないことがわかっているのに、「恥」とされてきました。これは古くからあった観念ですが、「漠然としたもの」だったのです。しかしそれが、80年代に入って高須克弥氏(高須クリニック)らがビジネスとして「包茎手術」を売り出すようになります。莫大な広告費をつかい、「包茎だと彼女ができない」「同性からも馬鹿にされる」「仕事ができないと思われる」などとして男性の不安を大いに煽り、商業化していくのです。

「包茎は男にあらず」という言説が溢れ、男性集団の中で落ちこぼれる不安につけ込んで、男性を包茎手術に誘導するのです。男性の中にある、女性を所有する、性的に優位に立つという規範が、「ペニスが良ければ女をものにできる」という高須氏の言説を蔓延させることになります。

高須クリニックのサイト

男性が男性をからかう構造には、男性間の支配関係が背景にあります。さらに雑誌の中に溢れる「包茎は不潔」「包茎は嫌い」という女性の声は、男性に対して手術を強いる言葉として受け取られます。澁谷さんは、「男を馬鹿にする女たち」に対する敵愾心を男性の中に醸成し、社会にすでにある女性差別・女性嫌悪とも結びつきやすく、女性への加害行為にもなりかねない危険なものだと指摘していますが、なるほどと思いました。

「男性間支配から派生する女性差別であり、包茎だけでなく、ハゲや童貞、低収入や低学歴など、男性の間に序列をつくるものは同じメカニズムを持っています。」「男性間の関係性で傷つき、そのストレスを女性に向けているように見える」・・・確かにそうだ。

男性は弱さを出せないという苦しみの中にあり、「同性からのからかいやいじりを受け流しているようにみえて、実は傷ついている。それならそういういじりや男性間の差別をやめようという機運があってもいいのでは」「男同士の関係性にある『普通』を疑うこと、自分の傷つきを正面から捉え、言語化することが大切」と強調し結ばれています。

以上をまとめ的に書いてみて思い出したことがあります。

高校時代に私は野球部に所属していたのですが、当時は「野球部は坊主頭」が当たり前でした。さらに、わが部の伝統として、夏の予選大会の直前になると、電気バリカンで髪を最も短い長さに刈られる儀式があったのでした。「そりん」という表現で、漢字にすると「剃厘」なのでしょう。通常は「五分刈り(ごぶがり)」などと坊主頭の髪の長さを表現するのですが、「五分」ではなく、「五厘(ごりん)」でもなく、剃り上げるほど短い「剃厘(そりん)」と言うわけです。

これが非常にカッコ悪く、翌朝の教室では野球部員みんなの頭がツルツルに明るくなっていることが話題になり、注目を浴び、他の男子からはまさに「いじられる」のです。そして女子の目をもっとも気にした苦しい瞬間でもありましたが、野球部員の「潔さ」や「強さ」を自分に言い聞かせ、「平気」を装わなければならなかったのです。

今となっては「懐かしい思い出」かもしれませんが、本当は嫌だったんですね。下級生の時は上級生の絶対の命令なので嫌とも言えないのですが、今度は上級生になったらなったで「カッコ悪い」とも「嫌だ」とも言えないという空気が蔓延しています。

男性性という「男らしさ」「強くなければならない」「それでこそ一人前だ」といった観念に、完全に縛られてしまっています。大人への階段、社会の荒波でも弱音を吐かない男としての成長の一段階を登る、やって当たり前の通過儀礼なのです。「男らしさ」の呪縛があってこそ成り立つ世界です。包茎に悩まされるというのも、こうした男性性の思考形式に縛られていたということになるでしょう。

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