2021年7月31日

総選挙へむけた野党協議をー立民の立場が問われている

投稿者: hi_sakamoto

「与党再び大勝の可能性」などと言われていていいのか

「命よりも五輪」で突き進む菅内閣への国民的批判が大きくなるもとで、いよいよ9月解散・10月総選挙というスケジュールが濃厚となってきました。

今日7/31の北日本新聞に掲載された政治学者の寄稿には、「与党 再び大勝の可能性」との見出しが躍っており、この聞き捨てならない言い分を読まないわけにはいかないと思い、読み始めました。

記事の前段では、五輪問題やコロナ問題によって菅内閣の急激な支持率低下を招いているが、それは個別的な政策へ不支持の増大で、一時的な内閣支持率の問題だから総選挙への影響は少ない。政党支持率で見ても自民党はそれほど低下しておらず、野党は伸びていないことからみても、次の総選挙では与党が大勝する可能性があるとしています。その記事の肝は、野党の共闘が思うように進んでいないためだというものです。小選挙区という特殊な選挙制度のもとで(しかも衆院の定数の大半を占めるのが小選挙区)、野党側がバラバラに戦っても与党側に勝てない構造を野党側が主体的に打破し、すなわち野党候補を一本化して1対1の構図をつくり、勝負をかけることが必須条件なのに、それがほとんどできていない。このままの現状では野党側の勝利はない、つまり与党の安定的な勝利、大勝の可能性が高いという結論なのです。

確かにそうでしょう。政界の現状と、それをもとにした未来予図~この先のコロナでの感染者数予測のように~なのですから、その分析で良いと思います。

ただ、中長期的スパンで考え、ものごとを変化・発展の過程にあるものとして捉えた場合、この予測は違ったものになるのです

1点目。今の菅内閣の支持率低下が一時的、五輪・コロナ問題という特殊事情からくるマイナスという捉え方では不十分

およそ40年にわたって続いた自民党の「新自由主義」的な社会づくりが、国民各層のあらゆる分野で矛盾を広げ、国民の生活、生業を破壊する方向に進んできました。これを推進するための思想的な力(イデオロギー)が「自己責任」論だったのです。古くは阪神淡路大震災、そして10年前の東日本大震災・原発事故、安倍内閣以来の立憲主義破壊の安保法制強行という事態に際して、自己責任論、新自由主義のあり方を改めなければ、国民の命や暮らしは守れない、そして社会の未来はないという危機感が国民のものとなってきました。安倍政権末期の世論動向、菅政権に対する今日の世論動向はそういう背景を加味して見る必要があります。

枝野幸男著『枝野ビジョン 支え合う日本 』(文春新書、2021)では、明確に「新自由主義」のあり方からの脱却を述べていますが、かつての民主党や枝野氏の姿からは隔世の感があります。

コロナ対策に関わっては、選挙になれば自民党を支持するような医師会のトップが「しんぶん赤旗」に登場し、オリンピック中止やPCR検査の強化を強く求めるなど、誰が想像したでしょうか。自民党の政治ではだめだという認識が、これまでになく広がっている時代に入っていることは間違いありません。

富山県では、県知事選(2020年)でも、高岡市長選(2021年)でも、本来なら自民党推薦候補が「盤石」なたたかいで勝利するはずだったのですが、逆に大差で敗北するという結果でした。富山県内自民党の動揺はかつてないものがあります。県民の暮らしに目線をおいた政治をしてほしいという意思が反映したもので、その根底には自民党政治とそれに追随する県内首長や自民党県連への厳しい批判があったからこそです。

菅義偉首相は「競技が始まり、国民がテレビで観戦すれば、考えも変わる」(五輪で政権批判も落ち着いてくるだろう)と語り、自民党の河村元官房長官が「五輪で日本選手が頑張っていることは、われわれにとっても大きな力になる」(日本がたくさんメダルをとれば、衆院選で与党に追い風となる)と発言したことが話題ですが、そこには「メディアや政策で目先をかえれば、世論は動かせる」という為政者の傲慢な自信が背景にあると思います。しかし、そんなことを許しておかないという国民世論は、ネット上の反応を見ればわかりやすいと思います。

2点目。野党共闘が着実に前進している面を捉えていない。

例えば過去20年間というスパンで見たときに、そもそも与野党共通の「日本共産党を除く」という常識が今では通用しなくなり、その枠組みが崩壊したことです。今や野党共闘といえば「日本共産党を含む」ことが常識になっています。安保法制反対のたたかいを端緒に、この6年に様変わりしています。この間2度の参院選(2016年、2019年)では全国の1人区全てで野党候補が一本化し、2017年の衆院選(直前に希望の党騒動があり共闘に亀裂がはいった)でも一定の共闘を実現させてきました。今年4月25日に行われた、3つの補欠戦・再選挙(衆院北海道2区、参院長野選挙区の2補欠選と参院広島選挙区の再選挙)では、野党側が候補者を一本化して全勝。7月4日の東京都議選では、少定数区の選挙区で日本共産党と立憲民主党などが候補者を調整して一本化し、互いの候補への応援もそれぞれの実情に応じて行われました。その結果、日本共産党は現有議席から伸ばして野党第一党の議席を維持、立憲民主党も躍進を果たしました。都議会では、共産・立民などの野党勢力の議席が、自民・公明、そして都民ファーストのこの2つの塊よりも大きくなるという画期的な成果を勝ち取ることができました。

客観的にみて、野党側がさらにこの共闘を深化・進化させて次の総選挙の望まなければならないことはもはや明瞭です。

野党が候補一本化に本気で臨み、政権を取ったらこうします!という中身を示して(例えば、消費税を5%に減税、最短1500円に、原発を廃止、安保法制を廃止、コロナ給付金の第二弾・第三弾支給、食糧自給率を○までに50%へなど)、政権交代なら政治が確実に変わるという国民の期待を広げる事です。そうやって、「野党には対案がない」、「民主党政権の悪夢を繰り返すな」などのネガティブな攻撃を粉砕する勢いが生まれます。

野党共闘は、国民のいのちを本気で守り、暮らしに希望を示す、未踏の領域への挑戦なのであり、自民・公明は、国民のための希望に向けた挑戦の足を引っ張る、後ろ向きな守旧勢力であることを浮き彫りにしなければなりません。

こういう時に、共闘がうまく行くかどうか、連合がネックだから難しいのではなどと言って様子見しているようでは、情勢を固定的にしか捉えられない結果〜この寄稿記事のように、野党共闘の過小評価する、または野党共闘の努力を視野外に置き「与党大勝」という結論を導き出す〜に陥ってしまうでしょう。

与党としては、野党共闘を何としても成就させまいとして、野党分断を行うことでしょう。日本共産党が伸びる情勢の時、そして日本共産党を含む野党政権の可能性が高まっている今、それを阻止することが与党勝利の必須条件になっていくのですから。私が自民党の選挙参謀なら、この共闘分断が最大の課題だと考え、あらゆる工作を、特に立憲民主党や国民民主党、そして野党共闘に期待する層や、無党派層に対して仕掛けるでしょう。

さて、その国民民主党の玉木代表が、日本共産党のことを「全体主義だ」とコメントして大問題になっています。

野党共闘のために、考えや理念や政策の違いを脇に置いて、立憲主義の回復、強権政治の打破をめざして野党が一致団結をしようじゃないかと呼びかけ、共闘の実現へ誠実に努力してきたのが日本共産党です。共闘とは、それぞれの政党の理念や政策の違いを認め合いリスペクトする共生の思想、民主・互恵の立場に基づくものであり、全体主義とは真逆です。それを「全体主義」などと表現することについては、厳しい批判があって当然ですし、日本共産党として玉木氏に発言の撤回を求めているところです。この点では、2019年12月のYouTube玉木チャンネルで、志位・玉木対談をご覧いただければ、玉木氏の論がいかに矛盾しているかが明瞭です。24分過ぎからがポイントです。

玉木氏ら国民民主党の支持母体が「連合」であるがゆえの、連合忖度発言ということでしょう。

問題は野党第一党である立憲民主党

日本共産党も含め、直ちに野党各党との協議に入るべきです。

志位委員長は4月27日に枝野・志位会談において総選挙に向けた協議を始めるという約束をしている以上、その約束を履行することを立憲民主党に求めています。

「しんぶん赤旗」7月30日付

日本共産党は、市民と野党の共闘へむけていつでも協議をする準備をしているのです。

富山では、わが党はいつでも臨む準備ができていますが、先方からはまだ正式な申し入れも話し合いもありません。

本気で自民党政治を変えようとするなら、そして「あなたのための政治」を目指すのであれば、国民の願う野党共闘に背を向け続けることはできないはずでしょう。立憲民主党のみなさんが、誠実に協議に応ずることを心から願うものです。