「8時間働いて暮らせる社会を」
2021年5月2日

「6時間、いや、4時間働けばふつうに暮らせる社会」にしたいものだ。(中)

投稿者: hi_sakamoto

『資本論』第1巻第13章でマルクスは、法律による労働時間の強制的短縮や他企業との競争が生産設備の著しい発展をもたらし、それが資本の利潤追求欲、労働搾取欲を強める要因になると指摘しています。その結果、再び時間短縮をもとめる労働運動を強め、標準労働日の短縮を実現してきたのです。生産性の向上と労働強度アップによる利益拡大をめざす資本と、生活擁護のために立ち上がる労働者との、力と力の対立が資本主義の歴史といえます。以上は、投稿前半で指摘したものです。

19世紀後半から始まった1日8時間労働を求めるたたかいは、20世紀初頭のロシア革命、「18時間労働、週40時間」を国際的ルールにしようと1919年に発効したILO1号条約が画期となり、8時間労働制が世界の共通基準に押し上げられました。日本はこの100年前のILO1号条約をいまだ批准していない国ですが、1947年の日本国憲法、労働基準法制定で一応は法定「8時間労働」になりました。しかし、実態は8時間労働など守られていない、世界で珍しい労働後進国となっています。「8時間働けば普通に暮らせる社会を」という150年前によびかけられたスローガンが、今なお日本のメーデーや労働政策として掲げて戦わなければならないところに、日本の運動の遅れを感じます。

以下の動画は、メーデーとはなにか?のおさらいのため。(全労連と連合)


20世紀は終わり、21世紀が4分の1を過ぎようとしている今日までに、生産力は巨大な前進をとげ、近年のIT化にみられるような技術革新がすすみ、生産性が急速に発展しました。では、それに応じて労働時間が短縮されたかといえばそうではありませんでした。1970年代以降の低成長時代の到来は(マルクスがその根拠を解明した、「利潤率傾向的低下の法則」ですが)、生産性のさらなる向上と労働強化の促進、さらに人件費の削減に邁進し雇用の流動化=新しい「自由な働きかた」を喧伝して非正規雇用を拡大、労働法制緩和が強力に推進されました。それは、一層の過密労働、競争主義のもとでの労働環境の悪化、働くもの同士の連帯の崩壊、過労死やメンタル疾患の拡大をもたらしました。過去30年は、ソ連・東欧の「社会主義の失敗・敗北」と「資本主義の勝利」の時代とされ、猛烈な競争原理の追求、すなわち「新自由主義」が猛威を振るった30年だったのです。労働時間短縮の客観的条件がありながら、それが実現しなかったのは複雑な要素があるとはいえ、労働運動の相対的な弱まりがあったのだと思います。

こうした中で、利潤獲得を最大の推進力として動く資本主義がもたらしたものは、人類史上最も広がった格差であり、貧困の拡大であり(それはまた今のコロナ禍のもとでいっそう進行している!)、気候変動の加速です。

これからの時代に求められることは、社会の生産力の増大、生産性の向上・発展を利潤追求のためにではなく、人間が人間らしく生きられる社会づくり、どの人もどの国や地域の人も平等に発展のために使うことです。それはまさに、構造の大転換です。

その具体的な方策の柱が、労働時間の抜本的短縮だと思います。働きすぎない、作りすぎない、加熱しすぎない、そういうイメージです。生産性向上を、労働時間の短縮に生かすのが、もっとも合理的な方策です。

電子計算技術の発展30年ほど振り返っただけでも、生産性が巨大に、加速度的、幾何級数的に進んだことは明白です。人間の手計算だった作業はすでに手元のパソコンどころかスマホが全部やってくれます。数十KBの画像をメールで送れたことに驚いていたのは20年数前です。いまや何GBもの動画を数分で相手に送ることができます。何百人の生徒を前に、手元のパソコンからオンライン授業をすることも可能です。一昔前のテレビ局が制作していたような動画をスマホ一つで作り、世界に配信することが可能です。車にナビがなくてもスマホが細かく案内してくれます。今後AIが急速に普及しますが、人間に代ってコンピュータが仕事をやってくれるようになると、大失業時代に入るなどと言われています。これは裏返せば、AIで労働時間を大幅に短縮できるということです。これまでの技術発展を労働と地球資源の節約に生かせば、人間の浪費〜すなわち過労死や病気〜を、地球の破壊〜温暖化ガス排出など〜を大幅に縮減できるのです。

例えば、単純に考えて生産性が2倍に上がれば、今までの半分の労働時間で仕事を終えることができるし、仕事をシェアし失業者を無くすことができます。にもかかわらず、労働時間短縮がなされなかったならば、生産規模を2倍にした計算になります。

利潤を維持し、拡大し続けることが迫られる資本主義だから、設備や人を節約できたはずの条件がありながら、それが不可能なのです。「分かっちゃいるけど、やめられない」それが資本主義です。

その歴史が証明しているように、社会からの強制(法律による規制)がない限り、資本主義自らが労働時間を短縮する方向へ向かうことは期待できないのです。

(つづく)