2021年9月17日

「ひるおび!」での日本共産党へのデマ発言を許さない

投稿者: hi_sakamoto

10日のTBS番組「ひるおび!」で、八代英輝氏が日本共産党について「暴力的な革命を党の要綱として廃止していない」などとする発言を行いました。「要綱」というのは、八代氏が「綱領」のことを指して使った言葉です。日本共産党は直ちにこれに抗議し、発言の撤回と謝罪を求めました。TBS側は、これを真摯に受け止め、翌週には何らかの対応をすると回答しました。

しかし、週明けの13日月曜日の同番組では、アナウンサーが「暴力革命という文言はない」と訂正し謝罪したものの、当の本人はあくまで政府の閣議決定を紹介したまでで、それとは違う意見・考え(日本共産党側の「暴力革命の方針を過去に一度も持ったことはない」)について紹介しなかった、つまり報道する姿勢として様々な意見があることをきちんと公平に紹介しなかったことが悪かったのだという釈明を行ったのです。

これは全く欺瞞的な対応です。

「今も日本共産党は暴力革命の方針をもっている」などと政府が閣議決定していること自体、事実を捻じ曲げる重大なデマであり不当なのですが、それを知りながら(少なくとも今回党側が申し入れた後は)、八代氏自身が10日の発言内容について撤回・謝罪することなく、「公平な報道をしなかったことは悪かった」という論点ずらしの説明を行い、「謝罪をしたかのような」形をとったことが大問題なのです。

日本共産党は、正規の機関で暴力革命方針をもったことは一度もありません。

今から70年ほど前の1950年代に、日本共産党は不幸にも分裂をした時代がありました。それは、中国共産党が、中国流の武力革命路線(「鉄砲から政権」と言われた)を日本の共産党に押し付けようとし、その企みがうまくいかないために中国盲従派の党幹部が党を分裂させてしまったのです。平和的政権移行を主張する側は彼らから排除されるなどしてしまい、一時的に武装闘争を進めようとした者たちが日本共産党を誤った方向へ向かわせようとしたのです。その結果、国民から信頼を失い、貴重な国会の議席を失ってしまうという事態にも発展しました。

党は、宮本顕治氏を中心に分裂の解消と党の統一をめざし党内論議をすすめ、その過程で「選挙を通じて議席の多数を獲得し政権交代を果たす」ことは当然の方針であることを確認し、ついに1957年に統一を回復して行動綱領を採択します。さらに4年間かけた党内議論ののち、1961年に正式に「綱領」を確定するのです。この1961年の綱領が、今日の日本共産党綱領の基本骨格をなしています。戦後の日本共産党における正式な綱領のスタートといってもいいでしょう。過去に1951年に採択された「綱領」なるものは、武装闘争方針を掲げる一部の者たちが持ち込んだもので、これを「綱領」として扱うことは誤りであり、この文書を党史上も「51年文書」として扱っているのです。

その議論から遡って歴史をふりかえると、1945年の終戦までは日本共産党は非合法であり、しかも1930年代からはほとんど壊滅状態でした。その党が、1945年に晴れて合法政党として表舞台で立ち上がり、戦後の混乱期にも「食糧を国民へ」などの国民の要求を掲げて運動を進め、国会議員数でも大きな前進を勝ち取りました。その後、1950年からの朝鮮戦争にむかう情勢の急展開と、アメリカ占領軍のレッドパージ(共産党員を追放する政策)のもとで、再び弾圧の嵐にさらされたのです。党も戦前のような地下活動的な運動を強いられるのではないかという空気が蔓延する中で、不幸にも中国共産党からの攻撃(当時の中央委員会の幹部の中に内通者がいたことものちにわかります)を受けて、武力闘争方針を持込もうとする勢力が党中央を分裂させるという、まさに混乱的状況にあったのです。党そのものが小さい組織であっただけに、党中央の分裂は全国の日本共産党組織にも混乱をもたらしました。

日本共産党の歴史の中で、これらのソ連・中国からの圧力とそれに呼応した者たちが武力闘争方針を持ち込もうとしたことで党が分裂し、統一が回復するまでのおよそ7年間の分裂そして統一に向けた紆余曲折の経過を「50年問題」といい、党史上もっとも大きな誤りとして総括しています。この過程でつかんだ教訓は、徹底した民主的な議論を行い、意見が違うからといって組織的に排除してはならないこと、意見が一致しない場合でも統一的な行動をとること、多数が賛成した方針でも誤る可能性は排除できず、それが正しいかどうかは実践で検証される、という組織の原則を大切にすることです。(「民主集中制」といいます)

八代氏のような反共的攻撃は今後も繰り返し行われることでしょう。

その点では、今回日本共産党に対するいわれのない攻撃についても、野党各党の幹部や知識人、芸能人が「八代発言は許せない」という声を瞬時にあげていただいたことはとても貴重なことです。この6年間の野党共闘の到達点と言えるでしょう。